2015年5月11日月曜日

5・7・5 選んでみたら みな機械

俳句

俳句などは非常にコボル君的に思える。
まあ、組み合わせは、かなりたくさんあるのだろうが。
どじている問題に思える。
少なくとも広辞苑的に閉じている問題とか。
大辞林的に閉じているとか。

閉じている問題は、やがて ゼロとイチの中の無限の中に沈められるのではないか?

仮に僕が 俳句の選者で、選んだ俳句が すべて 機械による自動生成だったことが判明したら・・・。僕の選者としての立場はどうなるのだろうか?

あるいは、人工知能が選んだ作品は、人工知能特有の癖が出るものなのだろうか?

将棋にしても 囲碁にしても それは閉じている問題に思える。


閉じていない問題 広がる選択肢問題にしても、ワトソン君が料理レシピにチャレンジしているらしい。多様な選択肢の提示、選択肢の開発自体、コンピュータなしには・・・・

今日は山に行くべきか
今日は海に行くべきか
今日は街に出かけるか

コンピューターが僕の好みを知り尽くし、外的な環境を分析し、いくつかの選択肢を提案してくれる。

其の仕事は 僕のことを知り尽くした、僕のコンピューターにしかできない仕事である。


エモーションキャプチャー

モーションキャプチャーで身体の動きをキャプチャー
エモーションキャプチャーで感情の動きをキャプチャー。

エモーションキャプチャーで精神活動を記録して それを再現できるだろうか?

いや、 キャプチャーし再現するだけでなく 人工知能の分析により 僕より僕らしく振舞うだろうか?

こうしてブログを書くことも、ひとつの身体拡張で、自分の分身を作っている行為といえる。


ドローンがピザを運ぶ。
マネーは世界を駆け巡る。
マネーのパワーゲーム。
資金力 開発力。

ひとびとはいったい何と競争しているのだろうか?